5月2010のアーカイヴ

『絵本の子どもたち』書評など

2010年 5月 27日

5月23日(日曜)付け『毎日新聞』の「今週の本棚」で、
『絵本の子どもたち』(寺村摩耶子著)の書評が掲載されました。
かなりのスペースを割き、評者の川本三郎さんが
この本の見どころ読みどころを見事に紹介してくださっています。
まだ目にしていない方はここにリンクをはっておきますので、
ぜひご覧になってみてください。
すぐにでも本屋さんへ駆けつけたくなることでしょう。
(こちら→

それから、著者の寺村摩耶子さんに対するインタビュー記事が、
白泉社で発行している『月刊MOE』7月号(6月3日発売)に
1頁で掲載されます。こちらも要チェック!(編集部So)



ehon_cover寺村摩耶子著

『絵本の子どもたち 14人の絵本作家の世界』

A5判上製320頁+カラー口絵8頁 定価3500円+税
ISBN 978-4-89176-779-2  C0095
全国書店絵本・芸術書コーナーほかで好評発売中!

子どもの本を舞台に、
美しい作品を作りつづけている絵本作家たち。
14人のクリエイターたちの魅力あふれる世界を
200点以上の絵本をとおしてみつめた注目の絵本作家論集!
貴重な資料であると同時に、驚きと楽しさにみちた生のドキュメント。

カラー口絵8頁ほか図版多数収録。


——絵本の森への招待。14の入口——
片山健/長新太/スズキコージ/井上洋介/
荒井良二/飯野和好/たむらしげる/
宇野亜喜良/酒井駒子/沢田としき/
谷川晃一/島田ゆか/南椌椌/木葉井悦子

 

編集部通信/世界も認める すべりっぷり

2010年 5月 21日

banana_cover一部の好事家の頬をニヤリとゆるませる本として、
密やかに話題を呼びつつある〈奇書〉が、
4月末に満を持して刊行された、
黒木夏美著『バナナの皮はなぜすべるのか?』です。

このタイトルのためにしばしば誤解されるのですが、
本書は、バナナにかこつけて処世術を解いたノウハウ本でも、
はたまたバナナの皮でのすべりかたを、
科学的物理的に検証した本でもありません。

ある日、本当にバナナの皮が道端に落ちているのをみた著者が、
古今東西の映画、コミック、文学作品、インターネットをくまなく検索、
有史以来、最も有名かつ普遍的な「バナナの皮ですべる」という
ギャグの由来と現在をひたすら調べまくった労作なのです。
徹頭徹尾、バナナの皮とそのギャグだけで、
250ページになんなんとする誌面を埋めた、
世界ではじめての本!
——と言うことができましょう。

banana_0515_iwateこのような著者の営為を広く世に知らしめるため、
まず共同通信さまが「気になるこの本」として配信してくださり、
すでに『岩手日報』(5/15日付=左の画像=クリック)、
『中国新聞』(5/16付)などなどに掲載されました。

さらに今月末には、いわゆる4大紙の1紙に
著者インタビューが掲載される予定
になっています。
*さらに 5月30日付読売新聞の書評が追加になりました!
思わぬところから取材や書評掲載のオファーが舞い込んできており、
バナナの皮の中毒患者は、確実に、じわりじわりと増えつつある情勢です。

たとえ2日分の夕飯をバナナにしてでも
いちどは手にしてみたくなる本、『バナナの皮はなぜすべるのか』
ちなみにカバーはあのロックの名盤のパロディです。

まだ未読のかたがいらっしゃったら、
ぜひお買い求めいただければ幸いです。(編集部 Naovalis)


黒木夏美

バナナの皮はなぜすべるのか?

A5判並製252頁/定価2000円+税
ISBN978-4-89176-777-8  C0095 大好評発売中!


もくじ
夜の終わりに
バナナの皮で笑うわけ
バナナの皮は誰かの手製
バナナの涙
世界に冠たるバナナの皮
お笑いに王道あり
永遠のお約束
バナナの皮の文学史
戦前日本のバナナの皮
アメリカ喜劇映画の神々
バナナの皮がギャグになるまで
バナナの皮の罪と罰
ストップ・ザ・スリップ
バナナの皮のモラル
踏み出す一歩
あとがき

 

編集部通信/『暗闇の楽器』の反響その1(編集部 So)

2010年 5月 10日

libro1今年は寒い春が続いていたのに、
このところ急に初夏の陽気。
天候に恵まれたGWを戸外で
ゆったりと過ごされた方も多いのでは。
私も久々に原稿やゲラと格闘する世界から離れ、
数日間、自転車で都内散策に出かけました。
ついでに書店も行けるだけ覗いてきましたが、
最新刊の『暗闇の楽器』が大型店では
目立つところに平積み・山積みされていました!
(左上の写真は池袋リブロの新刊台のコーナー、
その下のポップ付きは青山ブックセンター本店です)

少し驚いたのは、「フランス文学」なのに、
「アメリカ文学」に分類している書店が多かったこと。
書店員さんも忙しくて、「ナンシー・ヒューストン」という
著者名に惑わされ勘違いしたのかも。
これと逆のケースが昨秋刊行したアナイス・ニンの『人工の冬』で、
アメリカ文学なのに「フランス文学」と分類している書店が結構ありました。
これも早稲田大学の都甲幸治さん式に言うならば、
ナンシー・ヒューストンは「偽フランス文学」で、アナイス・ニンは
「偽アメリカ文学」だからこそ起こる勘違い現象なのかもしれません。

aoyamabc それはともかく、刊行後間もないのに、
連休が明けると『暗闇の楽器』を
さっそく読んだという方々から
次々と感想が寄せられてきました。
みなさん、担当者の私も驚くほど、
すごく核心をついた読み方をされているので、
ここに一部紹介させていただくと——




「……物語の凄さに圧倒されています。本当にこの著者は、
言葉を選び抜き、音楽や光の使い方が卓越していますよね。
ナダの名前の由来など、小さなエピソードがとにかく魅力的。
読みはじめから物語にからめとられました。
『時のかさなり』もすばらしかったですが、この『暗闇の楽器』も、
今年のベスト1になりそうな勢いです」
(東京在住YMさん)

「連休初日に『暗闇の楽器』を本屋さんで見つけて、
ちょうど連休中に読み終えました! とても面白かったです。
小説内に複数の声がわんわんと響いていて、でもそれは
すべて一人の作家(ナンシー・ヒューストンまたはナディア)のものであり。
……となにか気の利いた感想を書こうとしたのですが、
とてもたくさんのものを抱え込んでいる小説で、
一回ではとても読み切れなかった気がします。
時間と空間を超えて一人に収斂する複数の声、という意味で
『時のかさなり』と似たものを感じ、私にとってはそこが面白いポイントでした。
とにかくこういう、内容以前に、「小説」という器を意識した作品はすごく好きです。
今さらフィクションを書くならこういうふうにしてもらわないとって思います。
でもそれを変な実験的作品にせず、小説としての見事な完成度でもって仕上げてしまう
ナンシー・ヒューストンはますます気になる作家になりました。
以前に出た『天使の記憶』も読んでみようと思います。
でも翻訳するのはすごく難しい小説のように思いました。特にナディアのパート。
西洋人の女の人の独り言は日本語にしてしまうと
どうもエキセントリックで現実ばなれしてしまう。
「復活のソナタ」のパートは情景が強烈に残ります。
特にバルブが子どもを産み落とす章は迫真の筆致ですごい。
ここだけもう一回読み返してしまいました。
それにしてもこれが高校生に支持されるって、
フランスの高校生はレベル高いですね……。
どういうことなんでしょう?」
(東京在住AYさん)

「女性が直面する生きづらさという重いテーマを扱っているにもかかわらず、
物語性の豊かさと確かな筆力によって手に汗にぎる思いで読了し、
(帯の「絶望そして希望の物語」そのものの)見事なラストに感嘆しました
(訳文もこなれていて読みやすかった)。
この本に巡り会えて本当に良かったと心から感謝しています。
まず、作家の「わたし」(ナディア)の日常と、
「わたし」が執筆中の小説「復活のソナタ」が
交互に配置されるという構成が素晴しい。
次に三人のヒロイン(小説での17世紀のバルブ、
ハンガリー系のヴァイオリニストで「わたし」の母エリザ、
そして「わたし」)を通して、女性だけが背負う諸問題
(妊娠と出産、レイプ、中絶、避妊、魔女裁判など女性への偏見、
結婚して放棄せざるをえないキャリア、家事労働の空しさ、
夫の浮気と暴力 etc.)と真正面から向き合う見事な覚悟に胸打たれます
(その意味で、角田光代〔『対岸の彼女』『八日目の蝉』など〕の先達といえる)。
母語ではない仏語で書く作家で、双子が登場する小説というと、
やはりアゴタ・クリストフ(『悪童日記』三部作)を想起しますが、
天才型のクリストフに対し、こちらは秀才型か。
また、明快で率直な描写や物語性の豊かさから、
ジョン・アーヴィングなどのアメリカ文学の系譜を感じました」
(鎌倉在住YS氏)

「『暗闇の楽器』、読み終えました。
緊密な構成の作品ですね。「おんな」の肉体と精神と心の
激しいぶつかりのせいで、床が地震のように大きくゆれ
(実際は、自分自身がゆれているのですが)、めまいを感じました。
否定的な意味合いをもつNではじまる名前のNadiaが、
自分には「わたし」がないということで、
Nada(無)と自分自身のことを呼びかえる記述には、
どきりとしました。最後には主体をとりもどして、
Nadiaという名前に戻るのですが、
そこに関与しているのは母親の存在を意識したことでした。
この結末は、身につまされてよくわかる箇所でした。
ナンシー・ヒューストンも否定的なNではじまる名前です。
この世のあらゆるネガティヴなものを集結させた結果、
作家の心に転化が生じたようです。
女性が創作すると、男性が創作するよりも、
自然な転化がおこるということを
目の当たりにしました。ヒューストンには無理がありません。
彼女は今後もいい作品を多く書いていくことでしょう」
(大阪在住MKさん)