4月2013のアーカイヴ

4月の新刊:『ミラーさんとピンチョンさん』

2013年 4月 22日

mp02ミラーさんとピンチョンさん

レオポルト・マウラー/波戸岡景太訳

A5判並製/184頁/定価=1500円+税
978-4-89176-964-2 C0098 4月25日頃発売予定
装幀=宗利淳一+田中奈緒子



「ピンチョン、おれたちは道に迷ったのか?」

世界の崖っぷちをあざやかに描く、
オフビートなグラフィック・ノベル、ついに初来日!


軽妙な描線に導かれる 乾いた笑い そして憂鬱……。


野暮ったい測量器具を片手に荒野をゆく2人の中年男、その名もミラーとピンチョン。くしくも現代アメリカを代表する作家と同じ姓をもつ、彼らのゆく手に待ち受けるのは、女、ワニ、奇蹟、金星、そしてオオカミ少年……?ウィーン発、新世紀型エンターテインメント!


e38394e382afe38381e383a3-8ヘンリー・ミラーとトマス・ピンチョンをおもわせる主人公たちが、『メイスン&ディクスン』さながらに荒野を測量しながら旅をする、というロード・コミック、ついに日本初上陸!

簡潔ながらも的確な描線が余韻のある笑いをうまく引き出して、ちょっとつげ義春を思わせる描写の数々。そして伏線に満ちた展開が、最後まで読むものをひっぱり続けます。ミラーやピンチョンを読んでなくても楽しめることうけあい、読み終わったらミラーやピンチョンが読んでみたくなることもうけあい、です!(原書2009年刊)

長めの解説を寄せている訳者の波戸岡景太さんのブログでも、作者やキャラクターたちの紹介などが随時アップされています。あわせてご覧ください!(→

また、女優で熱心な読者家としても知られる 小橋めぐみさん にも、さっそくとりあげていただきました(→)。小橋さん、ありがとうございます!


【好評既刊】
ピンチョンの動物園 波戸岡景太 2800円+税
動物とは「誰」か? 波戸岡景太 2200円+税
コンテンツ批評に未来はあるか 波戸岡景太 2500円+税
ヘンリー・ミラー・コレクション 各2500〜5000円+税

 

『ただ影だけ』作品ガイド

2013年 4月 22日

e3819fe381a0e5bdb1e381a0e38191efbc9de382abe38390e383bc小社の新たなラテンアメリカ文学シリーズ〈フィクションのエル・ドラード〉の第1弾として発売後ご好評をいただいている、セルヒオ・ラミレス『ただ影だけ』(寺尾隆吉訳)では、原作者がニカラグアの元副大統領ということもあり、ニカラグアで実在した人物、実際にあった事件にインスピレーションを受け、史実とフィクションを織り交ぜながらさまざまな仕掛けを施しながら、独自の物語空間を展開しています。

そこで今回は、在ニカラグア日本大使館で勤務経験もあり、ニカラグアの政治が専門でいらっしゃる笛田千容さんに、物語を読む際のキーとなるニカラグアの歴史について解説をいただきました。『ただ影だけ』を読んだ後に一読していただけると、より一層作品の理解が深まるのはもちろんのこと、本を開く前にも本書のガイドとしてお読みいただけるものとなっております。

また本書は、新刊・既刊・ジャンルを問わず本を紹介している書評サイト「 Book Newsでも取り上げて頂きました。ラテンアメリカ文学の背景や、作品に登場する(実在する)歌の動画も載せてあり、大変わかりやすい紹介です。そちらもあわせて御覧ください。



こっち側のブタ野郎」はいかにしてつくられたか

——セルヒオ・ラミレス『ただ影だけ』の歴史的背景

ニカラグアは南北アメリカ大陸をつなぐ中米地峡に位置する。太平洋と大西洋、両洋間の結節点という地理的特徴から、中米地峡を貫く交通路の重要性は、スペイン植民地時代から認識されていた。しかしそれが運河計画という形で浮上するのは、カリフォルニアが米国に併合され、ゴールドラッシュに沸き始めた1848年以降のことである。翌1849年、米国の運輸王コーネリアス・ヴァンダービルトは、同国の東海岸とサンフランシスコを結ぶニカラグア航路を創業し、ニカラグア運河計画の先鞭をつけた。蒸気船でカリブ海からコスタリカとの国境沿いを流れるサン・フアン川を遡上し、淡水湖としては世界屈指の規模を誇るニカラグア湖を横断する。そこから太平洋岸までは幾つかの異なるルートが想定されるが、距離にしてパナマ地峡のおよそ四倍。それでも、標高差が小さいニカラグア地峡は、運河建設の有力な候補地とされた。

はじめにニカラグア運河計画について触れた理由は、それがこの物語の遠景をなす19世紀後半から20世紀前半にかけての歴史的事件――ウィリアム・ウォーカーの侵略や、サンディーノ戦争――と密接に絡んでいるからである。保守党の将軍ポンシアーノ・コラルを処刑し、ニカラグアの大統領に就任した自由党側の米国人傭兵隊長ウォーカーの背後には、ニカラグア地峡通行権の独占を目論む米国資本の思惑が渦巻いていた。パナマ地峡における運河建設・管轄権の取得を画策した結果、1903年にパナマをコロンビアから独立させた米国政府は、ニカラグア運河計画をドイツや日本に持ちかけた自由党の独裁者ホセ・サントス・セラヤに対する保守党のクーデターに力を貸した。そして、自由党の反乱を抑えるために海兵隊を派遣し、米国への運河建設権の譲渡を含む「ブライアン=チャモロ協定」(1911年)を締結した。但し、その代償として海兵隊は、自由党の将軍アウグスト・セサル・サンディーノ率いる国民主権防衛軍との戦いに手を焼くことになる。

保守党と自由党の抗争は独立後の中南米諸国に共通するが、ニカラグアの場合、運河計画などをめぐる米国の干渉に晒された結果、保守党政権が長く続いた。19世紀後半、周辺国で自由主義が支配的となっても、ニカラグア自由党は侵略者ウォーカーを招き入れた不始末により権威を失墜していたため、なかなか政権をとることができなかった。ようやく登場したセラヤ自由党政権(1893-1909年)は前段のとおり、米国政府が後押しする保守党のクーデターにより失脚した。

そのことは、ニカラグアの資本家階級の発達の仕方に次のような影響を与えた。保守党と自由党は同国最古の都市グラナダとレオンをそれぞれ本拠地とする。保守党が砂糖や牧畜、商業などを手掛ける一方、自由党はコーヒーや綿花といった先進工業国向け一次産品の栽培を導入し、商業営利的農業の拡大と国際市場への参入を推進した。むろん、作中で保守党の名家であるチャモロ一族が綿花事業を手掛けているように、経済活動と党派制は完全に一致するものではない。とはいえ、セラヤ政権による自由主義改革が短命に終わったニカラグアでは、同時期の隣国エルサルバドルやグアテマラで見られたような、強大な権力を持つ「コーヒー・オリガルキー」は台頭しなかった。彼らによって土地を取り上げられた先住民や、農園で働く貧しい人々の反乱を抑えるために、資本家階級が軍部を重用し、権力を握らせることもなかったのである。

以上のような歴史的背景――強力な国軍の不在と米国海兵隊の駐留、自由主義改革の頓挫と国の実権を掌握する資本家階級の不在――が、ソモサ個人および一族による独裁を可能にした。中規模コーヒー農園主の息子アナスタシオ(通称タチョ)・ソモサ・ガルシアは、海兵隊が撤退前に創設を指導した国家警備隊の総司令官の座に就くと、サンディーノを暗殺し、自由党を牛耳り、大統領の座に就いた。そして、事実上の国軍となった国家警備隊を基盤に、タチョ、その長男ルイス、そして本作の中心人物の一人で、「ソモサ王朝」最悪の恐怖政治を敷いた次男アナスタシオ(通称タチート)の、三代にわたる独裁体制を築いたのである。

タチョは米国への留学経験から英語に堪能で、同国に挑戦的な態度をとることもなく、善隣政策(国家主権の尊重など)を掲げつつも自国の対外政策に従順であることを中米・カリブ地域諸国に期待する米国政府にとっては、都合の良い独裁者であった。そのことを端的に表すのが、フランクリン・ルーズベルト大統領の発言として伝わる「ソモサはブタ野郎だが、こっち側のブタ野郎だ」というわけである。冷戦が深刻化するなか、独裁の長期化も容認された。父親のタチョから国家警備隊総司令官の座を継承し、1967年に大統領の座に就いた次男タチートは、米国のウェストポイント陸軍士官学校仕込みの腕にものを言わせて、反対派や革命勢力を弾圧した。タチートの息子アナスタシオ(通称チグイン)・ソモサ・ポルトカレロは、高齢化・官僚化し始めた国家警備隊のいわば活性剤として、新たに創設された歩兵訓練学校(EEBI)の長官に就任した。そして、ベトナム戦争帰りの元米軍特殊部隊戦闘員を顧問に招聘し、若手精鋭部隊を操って白色テロを展開した。

ソモサは急速かつ不正に富を蓄積しながら、その恩恵に預かろうとする側近や、独裁者に協力的な経済界のメンバーからなる権力集団を形成していった。まず、米国が第二次世界大戦に参戦したことをうけてニカラグア政府も枢軸国に宣戦布告すると、ドイツ人移民やイタリア人移民の資産(コーヒー農園など)を接収し、私物化した。先住民の共有地を解体し、コーヒーや綿花の栽培地を広げた。作中、タチートが手掛ける肉用生体牛の輸送船が出航するが、これはもともと牧畜を手掛けていた南東部(保守党)の経済エリートにコスタリカやパナマへの肉牛の輸出を禁じ、一族が独占したものである。ラニカ航空や国営宝くじ会社も、1960年代頃に多角化されたソモサ系企業の一例である。なかでも国民の恨みをかったのは、貧窮者から血液を買いとり、抽出した血漿(プラズマ)を米国の医療業界に販売していたプラズマフェレシス社である。国民の「血」を売り渡すという、吸血鬼的イメージが政権に与えたダメージもさることながら、そのことを批判した『プレンサ』紙社主・主筆ペドロ・ホアキン・チャモロが暗殺されたことで、国民の間に抗議の波が広がったことは作中にあるとおりである。

一方、ソモサ一族、およびソモサ派と呼ばれる権力集団を敵手とするニカラグアの革命運動は、階級闘争を掲げる人々を含みながらも、多分に階級横断的な国民運動としての性格を持ち合わせていた。キューバ革命に刺激を受けて武装したサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が、反米・反帝国主義の英雄サンディーノをシンボルに掲げたことにも、その一端が表われている。かつてサンディーノ戦争に参加したエルサルバドルの革命家ファラブンド・マルティは、階級闘争よりもナショナリズムに燃えるサンディーノとの温度差を感じて連帯を諦め、距離を置くようになったと言われる。ニカラグアの革命運動は当時既に、資本家階級を敵手とする隣国エルサルバドルの革命運動とは異なる性格を見せ始めていた。

それ故か、ニカラグアのエリート層はFSLNを必ずしも敵視しない。作中人物イグナシオ・コラルのように、社会正義を求めてFSLNに協力するのも、決して珍しいことではなかった。チグインの手下に暗殺された新聞社社主ペドロ・ホアキン・チャモロは保守党の名家の出身で、その未亡人ビオレタ・チャモロは1990-97年の大統領だが、彼らの四人の子供のうち、二人はFSLNのメンバーである。FSLNの「クリスマス作戦」で唯一命を落としたカスティージョ前農牧大臣(作中ではパラシオス前国家開発院長官)の娘は、その後ソモサ派ではなく、父親の仇とも言えるFSLNの一員に加わっている。ニカラグア革命は、その階級横断的な性格が、ときに出自や身分によって隔てられた人々を結びつけ、ときに家族や友人たちを引き離してきたのである。

最後に、本作では実在した人物や事件とラミレスの創作が錯綜するが、特筆すべきは主人公アリリオ・マルティニカと、「性悪のメサリナ」である。前者はタチートの腹心として国会議長などを務めたコルネリオ・ヒュック、後者はタチートの愛人ディノラ・サンプソンを強く彷彿とさせる。以下、この二人の人物を中心に、物語の背景やその後日談などについて述べる。

ディノラ・サンプソンは、もともとラジオ局に務める典型的なパーティー・ガールであった。それが1962年頃タチートに引き合わされ、家屋敷などを与えられて贅沢三昧の生活を送るようになり、国の財産で奢侈淫逸にふける独裁者のイメージを国民に植え付けた。タチートの側近らに自分への忠誠を誓わせるなど、愛人の威を借りて女帝のように振る舞っていた。作中、メサリナのイメージを「マラカニアン宮殿に外国製靴三千足」で知られるフィリピンの元独裁者夫人イメルダ・マルコスに重ねているのも頷ける。

影のファーストレディであるディノラに対し、公式のファーストレディであるホープ・ポルトカレロは、良くも悪くも、同国の上流階級を象徴する存在である。母親は名門テバイレ=サカサ一族の出身で、自身はマイアミで生まれ育った。ジャクリーヌ・ケネディ米大統領夫人と並び称される社交界のファッション・リーダーで、一族と縁の深いニカラグアの国民的詩人ルベン・ダリオの名を冠した国立劇場の建設計画に尽力した。

二人の確執(というか、この場合ディノラの一方的な嫌がらせ)が関係省庁を巻き込んで劇場建設の妨げになったというのは、あり得る話のように思われる。ただし、同計画が始動したのは1966年だが、1967年にルイスからタチートへの政権交代があり、その後ルイスが他界したことなどから空白期間が生じた可能性もある。1972年のマナグア大地震に耐えられたほどの建造物であるから、基礎工事などに予定外の時間を費やしたかもしれない。いずれにせよ、本来であればダリオの生誕百周年にあたる1967年頃を目指していたはずの劇場の完成が、1969年までずれこんだことは事実である。

コルネリオ・ヒュックは、自由党党首や国会議長などを歴任し、非軍事面から独裁政権を支えた。妻のリア・プラタも、自由党女性部の幹部に名を連ねた。詳細は定かではないが、革命の二年ほど前にタチートとの関係がこじれたことは事実のようである。ヒュックは1979年、家族を国外に脱出させた後、所有していた農園から誘拐・殺害され、1994年に遺体で発見された。遺体はパジャマ姿のまま、後ろ手に縛られていたという。

主人公アリリオ・マルティニカが民衆裁判にかけられるくだりは、革命後、必ずしも旧ソモサ派とは言えない企業や私邸までをも接収の対象とし始めたFSLNのやり方を彷彿とさせる。それは、広場にFLSNの支持者を集め、誰それの私有財産を接収することの是非を問い、拍手や歓声をもって正当性を確保するというものである。むろん、コルネリオ・ヒュックは紛う方なきソモサ派であるから、その財産は政令に基づき申し分なく接収されたであろう。

ただし、接収された財産の行方は必ずしも明確ではない。不動産ロンダリングが横行し、国の登記制度や財産調査制度に大きな欠陥があるからだ。ヒュックがリバス県トーラ市内に所有していた美しい海辺の土地(作中名はサンタ・ロレナ)は近年、米国資本等によるリゾート開発候補地として脚光を浴びると同時に、名義がごちゃごちゃになっていることも露呈した。果たして、1980年代のサンディニスタ政権期に軍部から外国人投資家などを経てヒュックの遺族に買い戻されたのか、ボラーニョス政権期に公的部門持株会社(CPONRAP)からアレマン前大統領の関連会社に渡ったのか、依然として国有地なのか。同一の不動産に対し異なる不動産権の主張がある。

一方、マサヤ市の邸宅は市庁舎として使われている。2001年、そこに市長として初登庁したのは、ヒュックの孫のカルロス・イバン・ヒュックである。1994年、祖父の遺体埋葬のために一族の亡命先であるマイアミより帰国したカルロスは、ニカラグア政界でのしあがれると思ったのか、そのまま同国に留まった。そして、政治に関与してはならないという母親の以前からの言いつけに背き、一族の出身地であるマサヤの市長選に出馬し、当選を果たしたのである。そして任期満了から二年後の2008年、在任中の公金横領と不正蓄財で起訴される。

このように、汚職そして法治の欠如という、本作で描かれる権力の濫用の副産物は、今日もニカラグアに暗い影を投げかけている。


笛田千容
(東京大学大学院総合文化研究科北米・中南米地域文化講座助教)

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フィクションのエル・ドラード

ただ影だけ

セルヒオ・ラミレス/寺尾隆吉訳
装幀=宗利淳一デザイン
四六判上製/328頁/定価=2800円+税
978-4-89176-950-5 C0397 4月5日頃発売予定

小社より新たなラテンアメリカ文学シリーズ、
〈フィクションのエル・ドラード〉刊行開始!


アイロニーと距離感、内面性とユーモア。
セルヒオ・ラミレスは銅のような三面記事から
言葉と想像力で黄金を生み出す錬金術師だ。——カルロス・フエンテス


1979年、ソモサ独裁政権の崩壊を目前に控えたニカラグア、ソモサの私設秘書官として権力の影で活動していたアリリオ・マルティニカは海からの逃亡を企てるも革命軍に捕らえられ、独裁政権の悪行に加担した嫌疑で民衆裁判にかけられる……

証言、尋問、調書、供述、手紙。事実のなかに想像を巧みに織り交ぜ、鮮烈な描写と圧倒的な語りの技法のもとに、歴史的事件の裏側をフィクションの力で再構築する現代ラテンアメリカ文学の新たな傑作。