3月の新刊:文学との訣別――近代文学はいかにして死んだのか
2019年 3月 13日 コメントは受け付けていません。
文学との訣別
近代文学はいかにして死んだのか
ウィリアム・マルクス(著)
塚本昌則(訳)
判型:四六判上製
頁数:344頁
定価:4000円+税
ISBN:978-4-8010-0395-8 C0098
装幀:Gaspard Lenski
3月25日頃発売!
文学は死んだのか?――
18世紀、「崇高の美学」にあと押しされて文学は栄光まで昇りつめた。しかし19世紀末、文学に「別れ」を告げた3人の作家――ランボー、ヴァレリー、ホフマンスタール――が現れ、20世紀にはついに自閉状態にまで落ち込み、文学はその影響力を失っていくことになる。
この3世紀のあいだに文学に一体なにが起こったのだろうか? 文学と世界との関係が切り替わる転回点をたどり、大胆に文学史を読み換える新たなマニフェスト!
文学という概念が18世紀以降、ヨーロッパで被った異様な変化、宗教に置き換わるような勢いを見せながら、事実に基づかない、ほとんど信頼のおけない書き物の位置にまで失墜するという、振れ幅の広い変化が見えてくる。(……)それまでの調和ある美の理想から、個人の感性に直接働きかけ、激烈な反応を引き起こす崇高の美学を追い求めることで文学の領域はどんどん拡張されていったが、それを生みだした社会そのものから離反して自律した世界を創りあげようとし、やがて自閉状態におちいって生命力の源泉を失っていったというのである。――「訳者あとがき」より
【目次】
目次
序章 文学は変わらないという考え方と縁を切るために
拡張、自律、凋落/文学概念の流転の歴史/年代記の増大
第1章 文学との訣別
生きている酔いどれ船/テスト氏の沈黙/チャンドス卿のパラドックス
第2章 偉大な司祭たち
崇高の理論から文学という宗教へ/文学の神格化と動物磁気による恍惚/言葉の透明さ/神殿の番人
第3章 自律性の獲得
芸術のための芸術の起源/一八三三年の戦い/社会の心的外傷/人生に逆らう文学
第4章 形式への埋没
形式概念の起源――ニーチェの果たした役割/新たな思考の枠組み――音楽/注釈が不可能/文学の劣等生/前衛の反=音楽的態度/フォルマリズム批評の限界
第5章 災厄(デザストル)の詩
イデオロギーの地震/考えられないことを詩にする/唄で終わるが世のならい/1703年の大嵐/
ココニモ文学ニ注グ涙アリ
第6章 詩の敗北(デザストル)
アドルノと詩――恨みの系譜学/災厄の詩から詩の敗北へ/アウシュヴィッツの後で
第7章 相次ぐ自殺
書く行為の終わり――沈黙という強迫観念/修辞学者の曖昧さ/作家の終焉――テスト氏と何人かの自殺者たち/書かない作家の神話/批評の終わり――実証主義の退廃/快楽のめまい/意味の廃墟と文化における没落
終章 極度に意識的な文学
三つの局面……その後は?/極度に意識を研ぎ澄ませた文学が直面した危機/ベケット、あるいは別れの超越/実験の時代
原註
参考文献
人名索引
訳者あとがき
【著者について】
ウィリアム・マルクス(William Marx)
1966年、ヴィルヌーヴ゠レザヴィニョン(フランス)に生まれる。現在、パリ第十大学教授。専攻、比較文学。主な著書に、『文人伝』(本田貴久訳、水声社、2017年)、『オイディプスの墓――悲劇的ならざる悲劇のために』(森本淳生訳、水声社、2019年)、Un savoir gai(Minuit, 2018)などがある。
【訳者について】
塚本昌則(つかもとまさのり)
1959年、秋田県に生まれる。現在、東京大学教授。専攻、フランス近代文学。主な著書に、『目覚めたまま見る夢』(岩波書店、2019年)、主な編著に、『ヴァレリーにおける詩と芸術』(共編、水声社、2018年)、主な訳書に、シャモワゾー『カリブ海偽典』(紀伊国屋書店、2010年)などがある。
【ウィリアム・マルクスの本】
文人伝/本田貴久訳/3200円+税
オイディプスの墓/森本淳生訳/近刊