《叢書 人類学の転回》

2015年 9月 25日 コメントは受け付けていません。

かつて、世界各地のエキゾチックな事物を記録し、比較・分析する学問としてあった文化・社会人類学は、一九八〇年代以降、ポストモダニズム/ポストコロニアリズムの流れにもまれるなかで、著しい変貌を遂げてきました。けれども、そこから立ち現れてきた人類学の現代的相貌は、これまで一部の専門家以外にはほとんど知られてきませんでした。
本叢書は、そうした変化を主導してきた人類学者たちを紹介することで、これまでの国内の知的空白を埋め、思想哲学の世界にも新たなビジョンを指し示そうとする野心的な企画です。
第一回配本(10月下旬予定)は、世界の人類学を引っ張っているマリリン・ストラザーンとエドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロの代表作です。いずれも本邦初訳です。ご期待ください。



〈推薦の言葉〉

中沢新一(人類学者)
思想や哲学やアートや実践の現場で、いま求められている最新の知性の形態は、大胆な変容をとげつつある人類学が向かおうとしている「つぎの人類学」と、不思議な共鳴を見せはじめている。人類学はふたたび現代思想の最前線に踊り出そうとしている。この叢書はいま人類学に生まれつつある新しい胎動を、世界に先駆けて紹介しようとしている。

細野晴臣(ミュージシャン)
音楽をやっているときのぼくは、すっかり「原住民」になりきっている。ニューオーリンズの原住民、オハイオの原住民、日本の原住民……音楽の原点がそこにある。ぼくは人類学のすぐそばにいたわけである。いまもそうだけど。

伊東豊雄(建築家)
人類の生み出した建築思考の宝庫は、いつもぼくの創造の源泉だった。この叢書がもたらすインパクトが、ぼくの中に新しい炎を点火してくれるだろう。

田中泯(ダンサー)
僕は、限界村落と称ばれる村に住み一瞬ごとの未来を咬みしめています。毎日、人類の一人である自分の営みを見つめています。新しい人間になろうとしているのです。もう一度、オドリとコトバを心の底から必要とする始原のヒトに成りたいと思うのです。



☆四六判上製
☆各巻200〜500頁、予価2500〜5000円+税
☆内容見本呈、ご請求ください。

★=刊行済

『部分的つながり』
マリリン・ストラザーン著/大杉高司他訳
今日もっとも大きな影響力をもつ人類学者の一人であるストラザーンの理論的主著にして、著書としては初の邦訳。ストラザーンは、伝統的な人類学への(自己)批判を踏まえ、「われわれ」と「彼ら」の実践の際限のない錯綜の中に新たな民族誌の可能性を垣間見させる、独自のテクストを生み出した。議論の線的な流れを、無数の折り目によって意図的に分断するその実験的なスタイルは、読者をときに戸惑わせ、ときに挑発する。初版の刊行から二〇年余りを経た今日、なおも新たな思考を喚起し続ける記念碑的な一冊。

『インディオの気まぐれな魂』
エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ著/近藤宏・里見龍樹訳
「人類学の存在論的転回」を主導してきたヴィヴェイロス・デ・カストロによる初期の代表作で、著者自ら「もっとも気に入っている論文の一つ」と呼ぶ注目の一書。一六世紀、ブラジル沿岸部に住んでいたインディオ、トゥピナンバは、当時のイエズス会宣教師たちには御しがたく、耐えがたい民であった。他でもなく、彼らが見せる「気まぐれさ(インコンスタンシア)」ゆえに……。本書は、宣教師たちの言葉に耳を傾けながらも、彼らとはまったく別の方法でトゥピナンバの気まぐれさについて考えることで、宣教師の記述の向こうにある、トゥピナンバの社会哲学あるいは〈存在論〉を読み解いていく。

『変形する身体』
アルフォンソ・リンギス著/小林徹訳
軽やかで色彩に富んだ人類学的エッセイの旅――。西洋哲学だけではなく、精神分析・文化人類学・進化論生物学など、あらゆる学問領域を渉猟しながら、われわれの「身体」の輪郭が描き直されていく。動物と人間、男性と女性、西洋と非西洋、古代社会と現代社会などといった、既存の分類法が巧みに越境され、現代における倫理的行為のあり方までもが根底的に問い直される。哲学的な考察に、詩的なイマジネーションが織り交ぜられたリンギスの文体は、読書の快楽をもたらすだけではなく、そこに一貫する「人類」なるものへの問いを、確かな手ごたえと共にわれわれのうちに呼び覚ます。

『模倣と他者性』
マイケル・タウシグ著/井村俊義訳
異なる文化が出遭う際に生じる化学反応について、ヴァルター・ベンヤミンの「模倣」に関する洞察にインスパイアされながら独自の方法で論じた、米国の人類学者タウシグの主著であり、彼の初の邦訳。舞台はコロンビアとの国境に面したダリエン。そこに居住するインディアンと遭遇したヨーロッパ人は、やがて「表象する」ものとされるものという関係から逸脱していく。「模倣とは共鳴する魔術である」と記したタウシグは、「他者(模倣)」に映る「模倣(他者)」に自らの姿を見いだし、読者をその眩暈のなかへと誘う。

『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』
マイケル・タウシグ著/金子遊他訳
中南米地域を主な舞台に、植民地主義や資本主義の眩惑的な体験を描き出してきた人類学者タウシグは、同時に、民族誌学、自伝的記述、文化批評を巧みに交差させる、現代におけるもっとも重要な「移動するエッセイスト」でもある。批評家ベンヤミンがナチス・ドイツから逃れようとして自殺したスペインの国境の町を訪れ、境界と墓地についての思索をめぐらせた表題作「ヴァルター・ベンヤミンの墓標」など全八編を収録した、タウシグの代表的なエッセイ集。

『多としての身体』
アンマリー・モル著/浜田明範・田口陽子訳
オランダの大学病院における動脈硬化の診断・治療を事例に、医学、哲学と人類学のあいだを大胆に横断する実験的民族誌。モルは、民族誌と理論的考察という二種のテクストを並置した特異な構成を通じて、アテローム性動脈硬化症と呼ばれる〈一つの〉病が、さまざまな行為や場所、診断と治療の相互作用のなかで、本質的に複数性を帯びて存在していることを説得的に論じる。「実践的存在論」の方向性を示すことで、人類学の存在論的転回に多大な影響を与えてきた名著。

『自然と文化を超えて』
フィリップ・デスコラ著/中沢新一・檜垣立哉他訳
フランス人類学におけるレヴィ=ストロースの後継者にして、現代の人類学においてもっとも注目を浴びる理論家デスコラの主著。彼は本書を通じて、「自然」と「文化」という二元論に疑問を投じ、人間と非人間(動植物)が連続的な関係を切り結ぶ、エコロジーの多様な集合体として人間社会を捉える新たな方法、「自然の人類学」を提唱する。それは、これまでの人類学の射程を超え、物心二元論、ひいてはそれを基盤としてきた近代社会や科学技術の在り方をも再考する試みである。

『暴力と輝き』★ 
アルフォンソ・リンギス/水野友美子+金子遊+小林耕二

『経済人類学――人間の経済に向けて』★ 
クリス・ハン+キース・ハート/深田淳太郎+上村淳志訳

『非-場所――スーパーモダニティの人類学に向けて』
マルク・オジェ/中川真知子訳

『法が作られているとき――近代行政裁判の人類学的考察』
ブルーノ・ラトゥール/堀口真司訳

『流感世界――パンデミックは神話か?』
フレデリック・ケック/小林徹訳

『フレイマー・フレイムド』
トリン・T・ミンハ/小林富久子・矢口裕子・村尾静二訳

『作家、学者、哲学者は世界を旅する』
ミシェル・セール/清水高志訳

『アートとエージェンシー』
アルフレッド・ジェル著/内山田康他訳
ジェルの遺作『アートとエージェンシー』は、われわれに常識を捨て去ることを迫る。芸術作品とわれわれとの関係は、アートと鑑賞者ではなく、罠と獲物の重層的な相互関係としてある。アートがどう働くのか、あるいはそれにエージェンシーがどう媒介されるのかが問題なのである。パプア・ニューギニアの楯からデュシャンの「大ガラス」まで、さまざまな時間と空間のなかで展開するアートを、「エージェンシー」という観点から捉え直したラディカルな理論書。


※以後、ロイ・ワグナー、パトリス・マニグリエ、フレデリック・ケック、ミシェル・セールらの著作など続刊

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