第1回 文化人類学と文学:はじめに

目次
第1回 文化人類学と文学:はじめに
① 「不可量部分」と「イメージ」
② 多元性・複数性
③ 幻覚体験をめぐって
④ 「フレーム」をめぐる体験




はじめに――〈イメージの人類学〉をめぐって(発表者:箭内匡)

「文学としての人文知」第1回の研究会は、人類学者の箭内匡先生をお招きし、2019年7月1日(月)東京大学文学部で開催されました。

箭内匡先生は、『イメージの人類学』(せりか書房、2018年)において、20世紀に大きな進展を見せた文化人類学という学問を、「イメージ」という視点から再検討し、学問の枠組みそのものを新たに組み直すことを提案されています。箭内先生は、驚くべき大胆さで、文化人類学の中心概念である「文化」を「イメージ」という言葉に置き換え、その過程で「社会」という言葉を消し去り、「文化」、「社会」をキーワードとしない人類学を新たに構想されました。なぜ文化や社会という言葉を抹消した人類学を構想するにいたったのか、そして「イメージの人類学」が何を目指しているのかをお話しいただきました。

文化人類学は、とりわけフランスでは文学と深く関わりながら形成されていったことが知られています。『ドキュマン』誌(1929〜31年)を編集したジョルジュ・バタイユ、マルセル・グリオールの主催する《ダカール・ジプチ調査団》(1931年)に参加し、『幻のアフリカ』(1934年)を著したミシェル・レリスなど、作家が文化人類学に深い興味を寄せ、フィールドワークやそのさまざまな手法を採り入れた作品を発表したというだけではありません。1939年以前にフィールドワークをおこなったフランスの民族学者の間には、人類学者としての専門論文だけでなく、より「文学的」な《二番目の本》deuxième livreを書くという奇妙な習慣がありました(注1)。もっとも有名な本はレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』(1955年)であり、プルーストに想を得たこの自伝的な本は、『ナンビクワラ族の家族生活ならびに社会生活』(1948年)という専門的論考と対になるように書かれています。レリスも、主観的な記述を前面に押しだした、民族誌としては異色の『幻のアフリカ』だけでなく、専門的な民族学の著作『ゴンダルのエチオピア族における憑依とその演劇的諸相』(1958年)を上梓しています。気候と地理、社会組織(氏族、半族、家系等)、技術(住居、道具、狩猟や漁の技術等)、家族生活、社会生活、宗教生活等の実証的な記述によって編まれる専門的テクストと、《二番目の本》は明らかに性格が異なっており、なぜ人類学者が二冊の本を書く必要を感じたのかは、大変興味深い問題となっています。

しかし、文化人類学は1980年代、ジェイムズ・クリフォードを中心とした論者たちによる批判(『文化を書く』)によって、大きな転換を迫られることとなりました。批判の核となったのは、「文化」という概念がニュートラルなものではないという事実です。20世紀前半、ヨーロッパで多くの人びとが、自分たちこそ先進的な文化の担い手であり、遅れた、「未開の」人々に自分たちの社会制度や価値観を押しつけることは当然だと考えた──そのような文脈で文化人類学は発展したというのです。エグゾティスムを求めて、未開の社会に分け入っていこうとする姿勢そのものへの批判が、学問としての文化人類学に大きな問いを突きつけました。「未開社会の研究」として知られていた人類学は、根源的な方向転換を迫られることになりました。

箭内先生の『イメージの人類学』がわれわれの興味を引くのは、民族、文化、社会という言葉が指し示していた実体が、根本的に変質してしまった歴史状況のなかで、フィールドワークという経験のあり方にまったく新しい視点を提供しているためです。『イメージの人類学』は、フィールドワークから立ち上がる何かを、あらかじめ型の定まった文化、社会という枠組みでくくるのではなく、ひとつのプロセスとして捉えなおそうとしています。何ごとかが〈私〉に現れる、そのプロセスそのものに焦点を合わせようというのです。箭内先生はこの何ごとかが〈私〉に現れるという事態をイメージと名づけ、それが脱イメージ化と再イメージ化というダイナミズムのなかで形を取ってゆくことを明らかにしました。さらに探究の途上で、〈私〉という器そのものが壊れていき、イメージは〈私〉に対してだけではなく、〈私たち〉に対しても現れ、さらには「人間に対してのみならず、人間以外の生物や物に対しても現れる」という過程を経て、最終的に「イメージとは、あらゆる「Xに対する現れ」のことである」という所まで、箭内先生はイメージの定義を先鋭化させていきます。その詳細について、先生は講演会でさまざまな例を挙げながら説明されました。

同時に、今回の研究会は、主催者の一人である鈴木雅雄さんも、文化人類学の変容という問題に深く関わっているという幸運にも恵まれました。鈴木雅雄さんは、人類学者の真島一郎さんと共同で、『文化解体の想像力──シュルレアリスムと人類学的思考の近代』(人文書院、2000年)という本を編纂しています。フランスにおける文化人類学の形成に深く関わり合った文学者が、シュルレアリスムの周辺にいた詩人・作家たちだったという事情があるためです。鈴木雅雄さんは、シュルレアリスムも、人類学も、「ある思考の空間」で同時期に形成されたものだと指摘しています。その空間とは「自己と一致できないことを本質とし、運命的に「他者」をめぐるものであるような思考、つまりは「近代的」な思考の空間」です。自己を一個の他者としか感じられない、19世紀末からの感性的土壌から、シュルレアリスムと人類学という二つの強力な磁場がどのように形成され、どのような関係を結んだのかが、『文化解体の想像力』ではさまざまな角度から論じられています。

以上の経緯から、箭内匡先生の講演会の後、座談会はまず鈴木雅雄さんがご自身の立場から長いコメントをつける形で始まりました。以下、その様子をお伝えします。原稿では、意を尽くすため、当日の発言に加筆訂正していることをお断りしておきます。

(塚本昌則)

(注1) ヴァンサン・ドゥベーヌの指摘による。Vincent Debaine, L’adieu au voyage : L’ehnologie française entre science et littérature, Gallimard, 2010, p. 14-19.




第1回 文化人類学と文学:はじめに
① 「不可量部分」と「イメージ」
② 多元性・複数性
③ 幻覚体験をめぐって
④ 「フレーム」をめぐる体験