第1回 文化人類学と文学①
目次
第1回 文化人類学と文学:はじめに
① 「不可量部分」と「イメージ」
② 多元性・複数性
③ 幻覚体験をめぐって
④ 「フレーム」をめぐる体験
①「不可量部分」と「イメージ」
鈴木 最初に塚本さんが先ほど紹介してくれた『文化解体の想像力』という本について一言申し上げておきます。ただ、なにせもう20年前の本でして、何を意図したものだったか、わからなくなってしまったような部分もあるんですね。ちょっと自分語りになって恥ずかしいんですけど、本を計画したこと自体がいろいろ偶然の成り行きでした。大学に入ったころからの知り合いで、真島一郎という非常に優れた人類学者がいるんですが(さっきお聞きしたら、東大の文化人類学で箭内先生の一つ下の学年になるんですね)、その彼と協力して、人類学とシュルレアリスムを結びつけた論集を作れるという話が、わりと急に決まったわけです。もちろんこのテーマに必然性がないわけではありません。シュルレアリスムにとって重要な人文科学というと、もちろん、哲学とかもそうですけれど、伴走していた隣人のような存在は二つあって、それが精神分析と人類学です。実はちょうど同じころ、サルバドール・ダリの初期のテクストを翻訳したのですが、その解説を書く過程でシュルレアリスムと精神分析というテーマについて、自分なりに掘り下げる必要がありました。ですから人類学と精神分析について同時にいくらかの仕事をしたわけですが、なんとなく精神分析の方が自分にとって身近な問題のような気がして(といって、その後もそれほど大した仕事をしてきたわけではないのですが)、人類学からは遠ざかる感じになりました。それ自体は純粋に自分の問題なんですが、他方では当時の人類学がなかなか大変な状況にあって、ジェイムズ・クリフォードによる人類学批判とどう向き合うかという問題に直面していたという事実があります。私がそれを踏まえて何かをいおうとすると、あまりに手に余るというか、もっというとそこで考え続けるのがなんだか息苦しい感じがあって、判断停止状態になってしまいました。そのまま20年近くたってしまったわけです。
ところがこの数年、私のような外部の人間から見ても、人類学でなんだかただ事ではない状況の進行していることが伝わってくるようになったんですね。水声社とは以前からお付き合いがあって、よく本を送ってもらうんですけれども、《人類学の転回》というシリーズが、研究室にどんどん積み上がっていくわけです。それで、先ほど名前を挙げていただいたような、ヴィヴェイロス・デ・カストロとかブリュノ・ラトゥールとか、分からないなりに読んでみると、何かとても風通しがよくなっているような感じがするんですね。もちろんクリフォードというのも頭のいい人で、無意味なことをいっていたとは思いませんが、人類学が自己批判のフェイズをうまく乗り越えて、かつては考えられもしなかったような領域にまでフィールドを広げるとともに、そのフィールドでの体験を意義のあるものとして語る道をふたたび見出したと実感できてきました。それと同時に、これは私の幻想も含まれているかもしれませんが、自分の普段考えている文学研究とかイメージ研究と繋げて考えることの出来る要素もふえてきているような感じがしていて、今日の箭内先生のお話も、そういう印象に根拠を与えてくれる側面があって、とても心強く思いました。そういうわけで、前置きが長くなったのですが、では自分の関心とどうつながるかということを考えながら、いくつかお聞きしてみたいと思います。
まずお聞きしたいのは、今日の箭内先生のお話にも出てきた、マリノフスキがいった意味での「imponderabillia(不可量部分)」について(注1)、あるいはそれと文学との関係についてです。非常に魅力的であるとともに、なんとも捉えにくい概念なのですが、日常生活のなかの些細な行為や心の動き、間違いなく存在するけれども量的に測ることのできないもの、というようなお話だったかと思います。ものすごく雑な質問で申し訳ないんですが、すごく普通に考えると、文学っていうのもやはり量的に測りにくいものを扱うわけですね。そうすると、そういう言い表しにくい剰余の扱いについて、文学と人類学的記述の違いは何だろうということが問題になりうるでしょう。当然のことながら、文学と人類学がイコールになるわけではありませんから。今日のお話のなかでは、ジャン・ルーシュの映画を見せていただきました。役者が演技する映画ではないけれどもいわゆる記録映画でもなくて、どう考えていいかわからないままに何だか感動してしまうというような感じの映像なのですが、映像を使うことによって、そういう剰余が……剰余って言葉がいいかどうかわからないけれども、量的に測れないものが受け取れるということがあるとして、それが文学においてどう扱われているのかということは、やはり考えてしまいます。映像人類学にしても、たしかに映画のなかに「不可量部分」が見出されるのだとして、それについて語るのを放棄するわけではなく、何らかそれとの言語によるつきあい方が発明されていくはずです。ではそこで何がなされるのかということですね。どうも質問が要領をえないかもしれませんが、まとめると、イメージにできて言語にできないこととは何か、そのできない何かがあるとして、それに対する文学と(言語による)人類学の対応とはどう違うか、ということになるでしょうか。
それからもう一つ、すごく面白いと思ったのは箭内先生のイメージ概念です。どっちかというとこっちの方が今の私自身の重大テーマなんですが。最近、割とイメージの方に偏った研究をしていまして、とくに現在、どういうわけかマンガの研究をしているんですね。それで、あんまりうまくいえないんですけど、箭内先生の本を読ませていただいても思ったし、今日お話を聞いても思ったんですけど、なんだか箭内先生のイメージ概念ってすごくいいんですよ(笑)。何がいいかっていうと、箭内先生はご本の中で、ご自分のイメージ概念はベルグソンから来ているとおっしゃっていたと思うんだけど、普通、イメージとは何かと考えたときに、少なくとも西欧の文脈で考えると、「不在の物の現前」だと捉えるのが常識的な発想だと思います。ここにないものの表象であると。本物はここにはない、その代わりのものだ、と。だけど箭内さんの話を聞いていて思うのは、「これ、不在の現前じゃないな」ということなんですね。これは実は根本的なことで、私が今考えているイメージ論というのは、この点とすごく関係があると自分では思っているんです。たとえば、これはもしかすると見当違いかもしれないんだけど、人類学で問題になるような彫刻とか仮面などのことを考えたとすると、やっぱり「不在の現前」じゃないなって思うんですよ。つまり、たとえばキリスト教の文脈でイコンのことを考えたときに、それが「不在の神」の「代わり」、「不在の物の現前」だと考えるのはわりと自然です。でも儀礼のなかで仮面が出て来るとして、その仮面って、不在の精霊の代理じゃないじゃないですか。表象ではなくて、仮面そのものが精霊なわけでしょう。つまり人類学的な体験は、基本的に不在の現前じゃないものとしてイメージを考えることにつながっているんじゃないかと思うんですね。これは自分の話になりますけど、たとえばマンガのキャラクターについて考えると、やっぱり「不在の現前」じゃないだろうって思うんですよ。マンガを読んでいて、たとえば目の前にコナンならコナンのイメージがあってですよ、それが不在のコナンの表象って思わないじゃないですか。このイメージそのものがコナンだって思うわけですよね。イメージっていうのは本来そういうものなんじゃないか、「不在の現前」としてのイメージというのは非常に限定された範囲でだけ可能な特殊な発想なんじゃないかっていう考えが私にはあるんです。うまく質問の形にできないんですけれども、とにかく箭内先生の話を聞いていると、すごく魅力的なイメージ概念があるっていう感覚があって、特に美術史で扱うようなイメージ概念との関係でもって、箭内先生がご自分のイメージ概念をどんな風に位置付けておられるのだろうかということを、ぜひお聞きしてみたいと思いました。ついでにいうと、箭内先生のご本のタイトルを見ると、私なんかの関心でいうと、ついハンス・ベルティンクの『イメージ人類学』という本を思ってしまうんですね。もちろん『イメージ人類学』の「イメージ」というのは、元々の言葉がドイツ語の「ビルド」なので、ビルドというのは「イメージ」と「ピクチャー」を兼ねていたりするから、ちょっとニュアンスが違うってことはあるんですけども。ベルティンクは本当に重要だと思いますが、そうはいうものの、やっぱりあそこでのイメージ概念でさえ、基本的には「不在の物の現前」という話になっているんだろうという気がします。ところが箭内先生のご本を読んでいると、それとは違うということをすごく感じる。そういうわけで、他のイメージ論とのネットワークのなかで、箭内先生ご自身がご自分のイメージ概念をどんな風に位置づけておられるか、聞かせてもらえたらすごく嬉しいなと思ったわけです。ということで、以上の2点なんですが、どうでしょう。
箭内 まず最初に、今日このような素晴らしい議論の場を作ってくださったことを、塚本先生と鈴木先生に心より感謝申し上げたいと思います。私はこれまで『イメージの人類学』に関して人類学を専門とする人たちからは多くのコメントをいただいてきましたが、お二人のコメントは、人類学者が捉えるのとはまったく別の形で、しかし非常に緻密に私の本を読んでくださり、そこから出てきたものであることがひしひしと感じられます。これは私にとって本当に嬉しく、また有難いことだと思います。
今、鈴木先生から、現在の人類学は何か風通しがよくなっている感じがする、というお言葉をいただきましたが、このことは私自身も感じています。人類学も苦境の中にはありますが、少なくとも1990年代の人類学の息苦しさから脱け出して、伸び伸びといろんなことが議論できるようになった雰囲気はある。クリフォードの人類学批判は、人類学のなかでもずっと賛否両論がありましたが、私自身はあれをあまり肯定的には受け止められませんでした。人類学者にとってテクストは通過すべき場所であり、着地すべき場所ではありません。フィールドがあって、そこで経験したこと、そこから触発されて考えたことを、テクストを通じて伝え、そして読者の中に新たな経験、新たな触発を生み出すところが人類学的営みの核心部分です。クリフォードがテクストの部分だけを抜き出し、前後にあるものと切り離して批判したのはアンフェアだったという気持ちがあります。もちろん、彼の仕事が人類学に与えたプラスの効果も確かにあるのですが……。
さて、鈴木先生の一番目のご質問、つまり、イメージにできて言語にできないこととは何か、という点に関して私が思うのは、究極的には、両者の間に絶対的な差異はないのではないか、ということです。実際、『イメージの人類学』でも私は、言語をも一種のイメージとして——一種の「脱+再イメージ化」として——捉え直そうとしましたし、また私たちが直接的な知覚イメージとして受け止めるようなものも、それ自体が「脱+再イメージ化」を経ていることを論じました。もちろんこれは理論上の話です。通常の意味でのイメージと言語の差異の問題について言えば、例えば映像による表現と、言語による表現には、それぞれ得手不得手があると思います。人類学の内部でも、ジャン・ルーシュの民族誌映画が映画という手段によって達成したことを、文字言語による人類学が理解できるようになったのは数十年も後のことでした。ただし、これを単に遅れとして捉えべきではないとも思います。人類学がそういう問題を映像ではなく文字によって辿れるようになったとき、文字による人類学はそこで新しい思考の地平を獲得していて、それはルーシュが映画によって確立した思考の地平と必ずしも同じではありません。だから、今私は得手不得手と言いましたが、不得手であるというのは同時にそこに新しい可能性が潜んでいるということでもある。私は文学について素人的な発言しかできませんが、文学が切り開いてきた様々な思考の地平のうちの一つを、何らかの形で人類学的方法として「翻訳」する、ということはありうるし、それはそれ自体、非常に創造的なことであるだろうとも思います。
文学と人類学的記述の違いについて、より具体的に考えてみると、それは現実的なものと潜在的なものの差異と特に関わっているような気がします。人類学は経験主義的な学問ですから、あくまでも「現実にそこで起こっていること」について書く姿勢があります。これに対して、私の想像では、文学もやはり現実と深く関わっているものの、現実の出来事が引き起こす余韻や倍音といったものを極端に敏感に受け止めることが重要であると思います。ベルクソンの『物質と記憶』に即して言えば、人類学は習慣的記憶に比較的密着して考えようとするのに対し、文学はむしろ想起記憶への様々な波紋の広がりを問題にする。ただし、これはあくまでも程度の差でしかありません。第一に、人類学においても、フィールドの人々は実際の出来事のなかで様々な余韻や倍音を経験し、人類学者はそれを緻密に追っていこうとするから、その意味である種の文学的なものとの交差が生まれてくる可能性がある。第二に、フィールドの出来事を追っていくなかで、人類学者自身の中に生まれる余韻や倍音というものがあります。この点は、さきほど塚本先生が提起された、人類学者の「二冊目の本」という面白い概念と関わっていると思います。レヴィ=ストロースやレリスだけでなく、後の世代であるピエール・クラストルやフィリップ・デスコラも「二冊目の本」を書いていますが、特にフランスの人類学者は、まさに文学とも絡まりあった、フランス民族学の独自の伝統のもとで、英語圏の人類学者と比べて、そうした余韻や倍音に特に敏感なところがあったように思います。
二番目のご質問の、他のイメージ論との関係のなかで、私のイメージ論をどう位置付けるか、という点については、正直、うまくお答えすることができません。今日もお話したように、私は1990年代前半から——もっというと1980年代末から——イメージ概念に焦点を当てて考えていて、しかしそれをもとに人類学を再構築するという作業に30年も時間がかかって、ようやく昨年、『イメージの人類学』を書き終えました。1990年代前半は「表象」や「言説」がキーワードで、「イメージ」という言葉に注目する人はさほどいなかったと思います。ベルティンクもちょうど同じ頃に美術史の分野でイメージの概念に注目し始めていたようですが……(ベルティンクはフランスの歴史家セルジュ・グリュジンスキのイメージ論から影響を受けていますが(注2)、私も1990年にチリで調査を始めたとき、グリュジンスキの『想像的なものの植民地化』を「こういう仕事がしたい」と思ってフィールドに持って行きました)。もちろん、最近では、「イメージ」は様々な分野でキーワードになってきています。けれども私自身は、1990年代から自分で積み上げてきた考察をまとめるのに精一杯で、周りを見回す余裕はありませんでした。最近やっと、他のイメージ論についても見てみなければと思い始めているところです。
鈴木先生が私のイメージ概念について、「不在の現前ではない」と指摘してくださったのは、本当に大事な点だと思います。ベルティンクの本については、まだ不勉強ですし、また私とは目指しているところが違うこともあって、距離を取りにくいのですが、「不在の現前」は確かに私の本と本質的に異なる点であると感じます。どうしてこの違いが出てくるのかというと、自信を持って断言できませんが、やはりベルティンクは美術史家として「作品」について論じているからではないでしょうか。これに対し、人類学者はフィールドに参入し、まさにマリノフスキのいう「不可量部分」と触れるなかで考えるので、対象を「作品」のようには客体化しない。いや、人類学の中にもいろんな流派があるので、そのように客体化する人類学者もいますが、しかし、現代人類学の根底にあるマリノフスキ的伝統に立脚して言えば、やはり、対象と研究者は切り離せない。だから、私のイメージ概念はフィールドにおける生きられた過程の全体として捉える——その一部をいわば「イメージ的データ」として取り出すのではなく——ことを目指したものです。そうした立場から見ると、鈴木先生がマンガについて語られるとき、また塚本先生が文学作品で語られるときも、作品を孤立させて考えるというより、作品が生み出され、またそれが読者のなかで経験される、生きられたイメージ的過程の全体を捉えようとされている感じがして、人類学者としてとても共感を覚えます。
(注1) マリノフスキ(1884-1942)は、ニューギニア東の海上に浮かぶトロブリアンド諸島で、1915年から1918年にかけて、単身で民族誌的調査をおこなった。調査者自身が村のただなかにテントを張って長く住み、現地語を身につけ、村の生活の自然な流れをその場で追うという新しいスタイルの調査法を確立、1922年、『西太平洋の遠洋航海者』を上梓した。箭内匡は『イメージの人類学』で、この民族誌的フィールドワークのなかでも、それが「現実の生の不可量部分」(imponderabilia of the actual life)という概念を提起して論じていることに注目している。「マリノフスキは「不可量部分」という言葉によって、一つ一つの行為や気持ちの重さは微少であり、ほとんど取るに足らないが、しかしその微少なものの積み重ねは確かに重要な意味を持っていること、そしてそれこそが「人々の生の血肉部分」をなしているだということを理論化しようとしたのであった。彼はこの不可量部分が、頭の中の問題というより、むしろ身体に関わる問題であることを明瞭に理解していた。」(『イメージの人類学』、47-48頁)
(注2) ハンス・ベルティンク『イメージ人類学』(仲間裕子訳、平凡社、2014年)、7頁、76頁、101頁。1990年以前の、イメージ概念と関わるグリュジンスキの仕事としてSerge Gruzinski, La colonisation de l’imaginaire (Gallimard, 1988)のほか、La guerre des images (Fayard, 1990)も挙げられる。
第1回 文化人類学と文学:はじめに
① 「不可量部分」と「イメージ」
② 多元性・複数性
③ 幻覚体験をめぐって
④ 「フレーム」をめぐる体験