ヘンリーミラーコレクション


第1巻『北回帰線』(本田康典訳)
第2巻『南回帰線』(松田憲次郎訳)
第3巻『黒い春』(山崎勉訳)
第4巻『クリシーの静かな日々』(飛田茂雄・田澤晴海・小林美智代訳)
第5巻『マルーシの巨像』(金沢智訳)
第6巻『セクサス』(井上健訳)
第7巻『プレクサス』(丙栞訳)
第8巻『ネクサス』(田澤晴海訳)
第9巻『迷宮の作家たち』(木村公一訳)
第10巻『殺人者を殺せ』(飛田茂雄・金沢智訳)
別巻 『この世でいちばん幸せな男』(室岡博訳)

「帰ってきたヘンリー・ミラー」
長年にわたって出版を禁止されていたヘンリー・ミラーの小説が一九六一年にアメリカでようやく日の目を見ると、その大胆な描写が読書界で前代未聞の反響を呼んだ。日本でも本格的な「全集」が出版され、異色の作家ミラーは大評判になった。その後もミラーの作品を愛読し続けた(例えば池田満寿夫や梁石日を含む)作家や芸術家は少なくないが、一般読者のあいだでミラーの本質が十分に理解されぬうちにブームは去り、七〇年代から日米両国でミラー文学は〈煉獄〉の時期に入った。皮肉なことに、ミラー文学が本来持っていた衝撃は、むしろそのころから再認識され始めた。フランスでは、ドゥルーズやガタリのようなポスト構造主義思想家がミラーを賞揚し続け、アメリカにおいても、エリカ・ジョングが「ミラーは女性のためにも自己解放の道を示してくれた」と彼を崇敬し、ノーマン・メイラーは、「ヘミングウェイは唯一の例外だが、二十世紀のあらゆるアメリカ作家に最大の文体上の影響を与えたのはヘンリー・ミラーなのだ」と断言した。
 八〇年代後半から、ミラーの復活を予知させる胎動が途切れることなく続いている。ミラーの習作時代の小説が二作初めて出版された。ミラーとの親交を赤裸々に綴ったアナイス・ニンの無削除版『日記』や、綿密な調査に基づく伝記および研究書が矢継ぎ早に公刊され、ミラーの創作の意図と、作品構成の全貌とがしだいに明らかになってきた。ミラーの人とテキストとを正しく読み解く条件がようやく整ってきたわけで、まさしくこの時期に、水声社がミラーの代表作を――すべて新訳で――出版する意義はきわめて多きい。
 貧困のどん底を這いずりながらも、物質文明に決して屈することなく、エマスンやホイットマンを範として清貧のうちに自己実現を試み、新たな「ぼく自身の歌」を創造したヘンリー・ミラーが、いま帰ってくる! 悪漢小説のピカロさながらのミラーが。アナーキストや異端者とあざけられながらも、不屈の意志を貫き通した求道者ミラーが。遠慮会釈ない哄笑を武器にして、現代が生んだ世界観のすべてを不条理のなかに投げ返した反骨の道化師ミラーが。さて、あなたはどんなミラーを発見なさるだろう? 一九三五年、作家志望者ロレンス・ダレルは、フランスで出版されたばかりの『北回帰線』を読んで驚嘆し、ミラーへのファン・レターに、「これは今世紀が真に誇るに足る唯一の、かけ値なく人間大の作品だという印象を受けました。……これは現代の血と内臓とをなまなましく紙にぶちまけています」と書いた。その一世代あと、作家スティーブ・エリクソンは『北回帰線』が伝統的な小説の「人工性と欺瞞とを」方っ端からたたき潰しているのを知って、これまた圧倒的な影響を受けた。もし批評精神を研ぎ澄まして『ヘンリー・ミラー・コレクション」を読むならば、あなたもきっと同じような感動を得るに違いない。

編集委員 飛田茂雄・本田康典・松田憲次郎