中村真一郎の会 設立趣意書

中村真一郎の本格的な文学的生涯は、第二次大戦終結とともに開始された。爾来、一九九七年末に他界するまで半世紀、その活動は日本の文学に新しい領域を開拓しつづけた。そして、最後まで、〈戦後派〉の文学者としての自負と誇りに生きた。

この場合、〈戦後〉とはただ時代の区分に関わるのではなく、日本の文学を戦前の狭隘から開放し、多様かつ豊饒な世界へと革新する困難な文学的行為を意味する。中村真一郎はまことに弛みなくそれを実践した。したがって、〈戦後派〉の文学者という自負は、取りも直さず二十世紀の日本文学の開拓者たらんとする自覚の表明ということにもなるだろう。中村真一郎はその自負あるいは自覚を全うした文学者である。

『四季』を頂点とする三つの大河小説的長篇は、ある時代の精神風俗と個人の内的冒険を融合する、かつて日本に乏しかった振幅のひろい小説世界を実現した。平行して書かれた数多い中篇・短篇小説は、精神と魂の諸領域の秘密をきめ細かく探りつづけた。江戸文明の精髄を生きた三人の知識人の生涯を考察した三部作には、評伝文学の新しい可能性が示された。日本・西欧の昔と今にわたり、及ぶ者のない広範な読書と該博な知識にもとづいて、文学の魅力をのびやかに渉猟した批評の数々。また押韻定型詩の試みは、継続の機会に恵まれなかったものの、日本近代詩がとかく軽んじがちだった形式感覚をめぐって、重要な一石を投じた事件だった。さらに詩劇を含む戯曲、放送劇、随筆、翻訳の領域でも目覚しい仕事を残した。

それら厖大でしかも多彩な業績は、どのようにして産みだされたのか。古今東西の文明・文学を見わたす視野の広範さ、想像力の自在な活動とそれを愉しむしなやかな感覚、現代を生きる倫理のありかたを考える意識(それはしかし偏狭さや偏見と無縁である)……。そこではまた精神の自由が重んじられ、魂の神秘が慈しまれる。それらが渾然一体となって、中村真一郎の創造の源泉を形づくることになった。

中村真一郎の作品はその生前から評価されていたし、文学的創造の姿勢はときに無理解な反撥を受けることはあっても、決して軽んじられていなかった。しかしながら、正当な評価で報いられたかとなると、大いに疑問である。文学的立場の輪郭は人の知るところであったとしても、その意味するところが正確に測られていたとは言いがたいものがある。

私たちがここに「中村真一郎の会」を組織することを発議したのは、以上の状況を十分に勘案して、中村真一郎の文学的業績と文学的立場の全体にわたって、その真価をもっと広く深く解明するのは急務であると判断したからである。そして当然ながら、この会の活動は、二十世紀の日本文学の創造したものを二十一世紀へと架橋する役割を果すことにもなるだろう。中村真一郎の文学に関心を寄せ、親しみ、敬愛するひとびと、中村真一郎の達成した仕事を通して、明日の文学を考えようとするひとびとの、幅ひろい活発な参加を得て、中村真一郎にふさわしい自由闊達な交歓の場が誕生することを私たちは期待している。